shotarooo:

伏見稲荷だけに、狐のお面がいい感じでした。  (Fushimi Inari-taisha)

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伏見稲荷だけに、狐のお面がいい感じでした。
  (Fushimi Inari-taisha)

中学の時に作文が上手な女の子がいて、彼女の付けるタイトルは、意外性のある想像力を掻き立てられるものだった。
タイトルも素晴らしいが、本文はその何倍も読む価値のあるものだった。
俺たちが「修学旅行の思い出」「金閣寺を見て」なんて駄文を書いている中、「もみじ」というタイトルなんだよ。
読んでみると、いきなり帰りのバスから始まるの。で、リュックにもみじの葉が紛れ込んでいるのを見つけて、「どこのもみじだろう?」と思い返すのが本文。
「○○でリュックを開けたけどもみじはあったかな?帰ってから写真を見てみよう」「○○のもみじはキレイだった。あそこのだったらうれしい」とか。
結局どこのかは分からないんだけど、一緒に行ったから「あそこにもあったよね」と、話したくなるんだよ。

一度コツを聞いたら、マンガを描くのが趣味で起承転結がどうのこうの言っていた。それは俺には無理だなと思った。
もう一つ、タイトルは最後に付けると言っていた。これなら俺にもできそうだったので、真似している。

筆者が1年間だけ勤務したことがある小規模Tシャツメーカーの社長は「アパレル業界ほど参入障壁の低い業界はない。製造に関するインフラがこれほど整っている業界はないだろう」と語られたことがあるが、まさにその通りである。

高校3年生で共学に移行するとき、学年主任の先生から訓示があった。「諸君、恋愛は素晴らしい。人は愛することで成長する。多いに楽しみたまえ。わたしは生活指導教諭として、全力でそれを阻止しよう」。あれは今思い返してもいい言葉だと思う

2037年

多くの電子時計のカレンダーは、この年までとなっている(2038年問題の関係)。

この国は 「才能がないこと」 には寛大だが、「手を抜く」ことには偏執狂的に厳しい。 いうなれば、「大日本キチンと教」。確かに近代の歴史において、この病的な偏執狂こそがこの国の武器だった。だからこそ、今も何も考えずに躊躇うことなく、消費者はどこまでも無限の努力を要求していくのだろう。 だけど、その「完成度の追求」って、何気なく死に至る病じゃないのかなあ?


不安だ

本当に恐ろしい人というのは絵に描いたような怖い人よりも見かけは凡庸であっても己が抱えるある種の狂気に自覚が無い人なんだよ、真の恐怖は凡庸さの中に宿るというのは今も昔も変わらない。